2011年12月29日木曜日

3.11の日記 2011年のさいごに

その後, いろいろあって, 災害支援ボランティアにのべ4日間参加させてもらった

避難所で話にあがった, 亘理町にも行った

テレビでわかった気になって, あーでもないこーでもないいう人には, 軽い腹立たしさを感じた

テレビはほんの一部でしかない

アナウンサーが「言葉がみつからない」といっていたが, その通りなのである



あすこには, テレビでみても, 現地にいかない限り, 絶対にわかり得ない何かがある



河北新報から, 3.11の写真集がでている

報道写真集巨大津波が襲った 3・11大震災 発生から10日間 東北の記録

原子力発電所事故のことは, 極力おさえられていて

地震による天災と, その被害の様子を写真でおさめている

是非, 一部買って欲しい



歴史を勉強しなければ, いけないということがよくわかる

この大災害を忘れないことが最も重要なことである

さらに, この地震で「近所のつながり」とか「人と人とのつながり」がどれだけ大切なのかを気付くことができたりした

あたりまえだと思うこと, それが大切なのだが, いろいろなことのまえに

勝手に複雑にして, みえにくくしてわからなくしてしまう



これを書き終えたのが2011年12月28日

3.11から9ヶ月がたった

3.11のあとの最初の冬. 何が出来るのか, 考える必要はまだあると思う

3.11の日記 4/7

電車が部分的に復旧していた

電車はすごいな

そんで, だいたいの荷造りが終わる. あとはそうじだけ



仙台駅東口で少し作業をしたあと, バスにのる

あとから, 少しがたいのよい人がバスにのったと思ったら, バスが揺れ出す

がたいのいい人, なにやってんだと思い, その人を見てみると, そんなバカなことをしてるわけではない

あれ, なんかおかしいなと思っていたら, 乗客の一人が「地震だ!」と叫んだことで, 事情を把握する

機種変したスマからは, 奇妙なサイレンがわめいていた

3.11のあとの一番大きな余震であった



ゆったりシートのバスは運休. 高速道は閉鎖. おまけに停電

しかし, バス会社は頑張った

スタンダードシートのアスで一本, 東京行きを走らせた

# 今思うと, バス会社にどなりこんだ人がいたのかもしれない...

しかし, 新幹線に乗り慣れているであろう人たちは, バスのマナーを知らなさすぎる

カーテンをあけて, 外をじろじろみるおかげでめちゃめちゃ眩しいわ

後ろのことを気にせずにシートを倒してくるわ...



マスコミども, いいかげんにしろと本気で思った

3.11の日記 4/6

ホテルを一室とれた. 今日は布団で寝れる

なんという贅沢だろうか



そうじが全然進まない. そりゃ, ゴミが処理できないのだから, どうしようもない

しかたがないので, もう一日そうじをすることにする



仙台に長居をする理由もないので, バスを予約

ゆったりシートを予約しておく


ホテルはボラインティアではなく, 報道の連中でいっぱいらしい

やってられん

3.11の日記 4/5

引越の片付けのために, 仙台にくる

夜を徹しての片付けをして, 北海道に送るものを車一台分つめこんだ



ところが, 車がまったく動いてくれない. なぜ?

初めて, ロードサービスを使うはめになる

どうやら, サイドブレーキワイヤーが錆びついてしまったらしい

サイドブレーキを引いてしまったのが失敗であった



研究室はそれなりに掃除がされていた

自分の荷物の片付けは一日ですませなければならない

そんなわけで, 箱詰めと捨てる作業にひたすら汗を流す

どーにか箱詰めして, 事務に送付をお願いする



アパートは寝れる状況になるので, ホテルを予約しようとするが, どこもいっぱい

マスコミが抑えてしまっているのであろう. うんと困る

結局, アパートのホットカーペットをつけて寝ることにする

疲れが全然とれん

3.11の日記 3/18

さいたまに来て, 余裕を持っていた

ホテルであちこちにメールを送り, 安否を連絡



さいたまから川越線で川越に行く

ところが, ここで計画停電にまきこまれ, 電車がすべてストップ

まさかまさかの川越で足がなくなるということに....

バスで新所沢に行けることがわかり, バスで移動

そしたら, 新所沢から西武線がうごいていた. やれやれと思いつつ, 地元の駅へ行く



さてととバスに乗るが, そこからさらに一苦労

まてどくらせどバスがうごかない

どうやらガソリンスタンド渋滞に巻き込まれたらしい

普段, 1時間に1本のバスが, なぜか, 道路に3台並ぶというしまつ...

あきれとバカバカしさを感じつつ, バスを降りて様子見をする

結局, 駅で3時間くらいさらにまたされてのバス

3.11から一週間して, ようやく実家に避難した

そのときに, ストレスがものすごくたまったのは事実で, 体中が皮膚炎をおこしていた



3.11での病院の対応は予想外なことがたくさんあったらしい

地震での対策は外科といわれている

とにかく, ケガをトリアージというのが, 災害時の対応なのだが

3.11ではケガのトリアージは予想よりたいしたことなかったらしい

むしろ, その3日後, 4日後の内科の影響が大きかったらしい

しかも, 内科は処置して, はい終わりとはいかないところがあって,

人手不足が日を追うごとに大きくなるという, とてもしんどいことがおきていたとのこと



津波の被害は3.11のみの被害だけではなく,

そこから日がたつごとに蓄積される, さらなる被害があって,

それはまだ未解決であることを忘れてはいけない

3.11の日記 3/17

亘理町では何が起きたのかを聞くことができた

今すべきは何が出来るかを考えること



本当にできる人は, 受身ではなく, 自ら動き, 動かす

受身で, 失敗しない日常は, それはそれで評価されることだが

みんながみんなそれでいいわけではない

何のための高学歴か?何のための教育??

失敗を恐れ, 恐れない教育は, 今, 自分が想う最も重要なこと



つめるものをとにかくつめる. 重すぎだろうが気にしない

毛布を圧縮袋でつぶしてつっこむ

とはいえ, 圧縮袋がダメものらしく, キャリーケースの中でぱんぱんになる



うちは水が出ていたが, 出てなくて給水している地域もある

水が出ない地域の方に, 水を5Lほど持っていく

持っていったはいいが, 留守で渡せず, すみっこに放置していく

しゃーない, 結果, 渡せたみたいでよかった



山形行のバスになんとかのれた

バスは満員だったが, 山形道をフルで使えたので, そんなに苦労しなかった

どうやら, 高速バスは緊急車両扱いだったようだ

山形に到着後, すぐに新潟行バスが取れることがわかる

全力で1席ゲットする. 発車5分前くらいの荒技だったり



何かがうしろでうろうろしているなぁと思っていたら, どうやらテレビ局のリポーターだったらしい

どでかいスーツケースをごろごろさせていたから, ターゲットにされたらしい

聞かれたことはほとんど覚えていないが, あたりさわりのないことを答えたはず

そんなこんなで新潟に行けた. とても運がよかった



新潟からはメンドウなことは何も考えず, 新幹線にのる

これまた, 待ち時間ゼロのノータイム

ここまでポンポン進むと思っていなかったので, 本当にビックリ



大家に9時に到着, これ以上動くことは出来そうになかったので, スーパーホテルに泊まる

こんな贅沢なベッドで寝ていいのかと思ってしまう

さいたまでは地震はどこふくかぜみたいな雰囲気を感じた

そんなもんなのかなぁ



山形のライフラインの回復っぷりと手厚い援助にとてもびっくりした

避難者を全員助けるという雰囲気だった

3.11の日記 3/16

山形のガソリンスタンドは5時でも大渋滞

もともとは, 車を仙台から山形, 新潟経由で関東まで行くということを考えていたが,

ガソリンが無理ということがわかった

2時間くらい並んで, ガソリン6Lゲット...こりゃ片道分だけだ



別のガソリンスタンドで10Lゲット

とはいえ, うちの車にはもういらない

車を持っていけないとわかった段階で, 放置確定

そんなわけで大家の携行缶に入れる



帰仙して, 仙台にいる理由がまったくなくなる

というより, いかに最低限度の引越をするかを考える

結論として, 毛布と着るもののみを優先して, 運ぶことにする

市役所に行く. なんで市役所に行ったのかはあまりよく覚えていないが...

役所まわりの雑務の確認をするつもりだったのだと思う

# 混乱している市役所に行っても...だと思うが

そしたら, 運よく, 離仙するための情報が手に入る

東北道ルートや東北新幹線ルートがダメだったわけで

やはり, 予想通り, 山形から新潟へのルートが最速のようであった

すぐに計画し, 準備する

さらに, 他の同僚とかとも連絡して情報の共有をはかる

こういうときはメールがつよい



夜はまた, 別の小学校に避難

津波で, すべて持っていかれた方の話を聞く

ようやく, 津波で何が起きたのかを現実味を持ってうけとめはじめる