2011年11月30日水曜日

3.11の日記 3/11 その2

地震がおさまり, 建物はなんとか耐えられた

とりあえず, 情報源を得るための携帯電話, 寒さを凌ぐためのコートをとって逃げることにする

この時, 冷静になっていたつもりだったのだが, 電池とFMラジオ, 靴のはきかえを忘れてしまう

電池がないため, 携帯が充電できず, FMラジオがないためにラジオ情報が集められず, 靴をはきかえ忘れたために, サンダルで逃げてしまう

まわりの脱出した人も慌てていた人が多く, コートを忘れたり, サンダルで逃げてしまったり...

地震のときの「おさない, かけない, しゃべらない, もどらない」はあったが, 「かけない」はあまり守られていなかった

もっというと, 「もどらない」は人によりけりだなとさえ, 今なら思う

本当なら防災袋を用意すべきなんだろうけど, 場合によっては, もどることも一つの選択肢かもしれないと思った

避難の後に, 何もない状態はどうしようもない

もちろん, 戻るというのは悪い書き方とはいえ, 独り身の献身的努力としてという意味であるが



中庭に避難するが, 最悪なことに天候は雪

コートを着てきたのは正解だったが, サンダルは大間違い

携帯電話で実家にメールを簡単に送ることはできたみたいだったが, それ以降は完全に不通

充電もままならなかったので, 諦めて電源を切る

電気, ガス, 水道の全てのラインが不通

大学は避難所としての設備が何もなかったうえ, 研究室の12階の建物の損傷が素人目で見ても安全といえない状況

免震構造でエネルギーを放出しようにも, 放出できないほどのエネルギーが建物にかかったようだ

さらに, 化学研究棟では, 薬品が反応してしまったらしく, 火災が発生!!

消防車がきたにはきたが, ほとんど処理できない状態

大学は薬品火災の異臭が漂う異様な状態




そんななか, 5時くらいまで, 大学から動かず, いや動けず

多くの人が車で帰宅していったのだが, 停電によって信号が動かないため, あっちこっちで大渋滞している

大学の目の前の道路でさえも渋滞していて, 車で帰宅しようにも渋滞に巻き込まれることは確実

近くの友人たちと今後どうなるかを冗談いいながら話しあい, そののち, 車でちょっとしたドライブに行く

情報を得ようにも情報がまったく入らないので, 車で街中を様子見する

やはり, 電気がダメになっているらしく, どこもかしこも真っ暗

車の暖房が使えるのが幸いである



驚いたことにアパートは無事だった

潰れてなくなってしまっているに違いないと思っていたので、本当に驚いた

しかし、部屋の様子をみようにもまっくらで, どうしようもない状態

これは避難所に行くしかないなと判断する

車を大家の駐車場に置いていたため, 大家のところに行くと, 大家さんの家族も家で過ごすことはできなかったらしく

庭でキャンプをしているような感じだった

独り身の自分はそこで, ラーメンとコーヒーをご馳走してもらってしまう

地震の後の1週間は, 大家さんに感謝してもしたりないくらいにお世話になった

あの頃を思い出して, 今でも思うのだが

挨拶って大事

なんだかんだで一人で生きていくことはできない

近所の付き合いは実は重要

あの頃, 頻繁に流れていた, 「挨拶の魔法」はバカにしてる人もいたが

いざというときに, 挨拶できるかは一つのサバイバル技術だと思う

挨拶されて怒る人はそんなに聞いたことないからねぇ




近くの市民センターに避難, 子ども連れも含めたくさんの人がきている

アルミの保温材を借りて, ぐるぐるまきにして寝ようとしたが, 寒くて殆んど寝れなかった

この日から, 体がエマージェンシーモードになっていたらしく, 栄養の摂取がとても少なくなったかわりに, 出す物も全然出なくなった

常に睡眠不足で体を清潔に出来なかったので, ストレスがかなりたまっていた

皮膚炎持ちが本当にネックとなる日々が始まることになる...

3.11の日記 3/11 その1

新しいプリンタと新しいノートパソコンをゲットして東北大学の11階の研究室に運び込む

ノートパソコンは机の上においておき, プリンタは重かったので, 机の足元につっこんでおく.

携帯の電池が切れてしまったので, 2時ちょい過ぎから充電をはじめる

研究室には他に2人の研究者がいるのだが, 出張やら自宅でひきこもっているやらで部屋は一人きり

そんななか, 14時46分, ぐらぐらと揺れ始める

地震速報はなかったので(3年くらい前の地震では, 地震速報があった), 目の前のモニタが倒れないように支えながら地震が落ち着くのを待つ

と待っているのだが, 全然落ち着く気配がないし, むしろどんどん酷くなっていく

あれ, なんかこれはおかしいなと思っていると, 揺れがたいへんなことになってくる

なんというか, 建物が回転しているような感じ

こういう時, 頭は普段より回転が早くなっており(それを動転というが), いろいろな判断を一気にする

東北で起こると思われていた大地震が発生したに違いないということがわかり, 引越前に来てしまったかと残念な気分になる(失礼は承知で書いたが, これは本心)

そうこうしてると, 揺れがたいへんなことになっており机の上にあった蓋付の棚から本がばらばら落ちてくる

他の研究員の棚は本だからまだしも, 自分の棚には, ガラス瓶とかボトルとかなため, 落ちてくると, 本当に危ない

取り敢えず, 棚の蓋をおさえて中身が飛び出ないようにする

とはいえ, もう一方ではモニタを抑えていたので, 両手で抑えるにも抑えられない状況になる

安全性を考えれば, 抑えるべきは棚の蓋. モニタは出来るだけ静かに倒して諦め, 近くにあった壁を支えにする

もう立っているのがやっとの状態

そんななかで, 窓際から外を見てみると, 建物がおかしなことになっている

自分の研究室の建物と向かいの建物を繋ぐ連絡通路部分がくっついたりはずれたりしている

建物は免震構造をしているから, 地震のエネルギーを揺らして分散させることは知っていたのだが

接合部分はその揺れに耐えられなかったのだろう

この時は本気で思った.

建物が崩れたら, 死ぬかもしれないな

死が近くに来たことは何度かあるが, 意識下で死が近くに来たと感じたことは2度目だと思う





ちょっと長くなったので, 書いておきたいことを一つだけ書いて一区切り

自分は幸いにも津波の被害がなかった

テレビとかで津波の映像を見て, 理解したと思っているかもしれないが, それは違うと思う

あの日, あの時, 1万人以上の亡くなられた方とともに, とんでもなく多くの人が生死の間をみたのではないかと思う

残念ながら, これは経験した人でしか理解できないと思う

だからこそ, 自分が忘れないようにするためにも, 3.11から1週間くらいにあったことをまとめておこうと思う

3.11の日記3/10

今まで読んでた論文とかを整理する

情報がたまりすぎていたため、処理するために一日を使いきる

3.11の日記 3/9

11時前にそれなりの地震があった

風邪をひいてて体調はよくなかったのだが、引っ越し準備もしないといけないので大学に行く

論文の再投稿の指示が来ていたので修正する




地震に対する感想は、「揺れたというより長かった」

久々に結構揺れたなという感じ

あとから考えると、これは大きな布石だったのかも

2011年11月20日日曜日

フィンランド出張 29日目

先生に空港まで送ってもらう

何から何までお世話になりっぱなし

感謝しっぱなしで申し訳なさ過ぎ



ヘルシンキ空港のヘルシンキ側には免税店も結構ある

パスポートコントロールする前にいくのがおすすめ

また、EUの外には足湯とかサウナとかあると聞く

これはすごい!

いずれにせよ、町中よりちょっと安く買い物できるので、イッタラタイカのでかい赤マグを購入



トランジットでコペンハーゲンにいく

やりたかったのは、リファンドタックスの申請

しかし困ったことにリファンドオフィスが見つからない

それもそのはず、リファンドオフィスは保安検査の外

面倒くさすぎて出る気にならず、申請せずにパスポートコントロールする

ヘルシンキ空港は保安検査の中にあるので次からはフィンエアーを使おうと心に誓う




半年たった今でも覚えているのが、空から見たヘルシンキの様子

森に囲まれた神秘的でありつつ、要請がすんでそうなこの土地にまたきたい

彼女とかつれてけたらいいなぁ(笑

フィンランド出張 28日目

帰国の準備、ラゲッジに全部入れたら確実にオーバーするので

一部を郵送する

マリメッコの箱を買い、5g詰め込んで郵送する

箱は再利用するつもりだったのだが、諸事情により、ボロボロになってしまい、会えなく廃棄処分に。。。



今日も地元の友達とシベリウス湾をうろうろ

それにしても、寒い、寒すぎる!

どうやら体感気温は-20℃以下な感じ

そんな中の装備は、ジーンズ一枚、穴あきコンバーススニーカー

そんな装備じゃダメだ。。。



午後はなぜかニコ動鑑賞会

シベリウスの地でなにやってんだか。。。



そんな彼とも別れ、エゾシカケバブを探すも見つからず、普通のケバブを食べる

片付けをあらかたすませ、感慨に浸る

いろいろあったが楽しかった

一人でいくことが重要だと認識

もちろん、異国の地と認識しての行動が重要なのはいうまでもないが、

日本語が通じないとはいえ、フィンランドはまた行きたい

フィンランド語も勉強したい

がんばろう自分

フィンランド出張 27日目

非常に広い世界の片隅(日本から見て)ヘルシンキにおいて

日本でもかなり小さな村人が二人

二度とないんじゃないか。。。



そんなわけで、東京館という店に行く

ここは、日本人が経営している日本食とかを売ってる店

1ヶ月滞在してて、店の存在を全く知らなかったという。。。

ここでは、味噌とか米とか納豆とか買えます

日本食万歳?



そのあと、寿司を食べに行く

地元の村より美味しい寿司を食べる(笑

握っているのは日本人ではなさそうだが、そんなの関係ねぇ!寿司くいねぇ!!



そのあと、アテニウム美術館に行く

あんたが美術??と思われてもしかたのない二人が美術館をうろうろ

しかしまぁ、年をとると見えてくるものが少なからずあるようだ

おもしろい。。とはいえないのだかつまらなくもない

そんな不思議な感覚をもってぷらぷら回る



トラムにのって、レストランを探すも、トラムが止まってしまう

運転士が何か説明しているのだが、1ヶ月ではわからない。。。

と右往左往してたら、近くにいた人がトラムが止まったことや乗り換えが必要なことを教えてくれた

たすかったーー




そんなこんなで、現在、フィンランド語を勉強中

有名なこの曲を危機ながら勉強するぞ

フィンランド出張 26日目

あっという間の4週間。大学来るのは今日が最後

たいして散らかしたわけではないが部屋を片付ける

コピーした論文とかを取っとくものと、いらないものにわけたり、データを整理したり



そんで、ヘルシンキ大学でセミナー発表

先生の車で行くと、そんなに時間はかからなかった

発表ではタデオス先生がめちゃめちゃ怖い

いやー世の中にはすごい人がたくさんいるわ



発表をふらふらな感じで終わったあと、大学を少しぶらぶらし、ネパールカレーを食べに行く

これまたうまい

スリランカから来てた先生も美味しいいってたし

かなり、よい店だったのだろう

しかもゲスト扱い。ゲストじゃないよ(汗




さて、最後のビッグイベントがはじまる

同窓生とヘルシンキで待ち合わせるという、いろんな意味で大きなイベント

ある意味戦友

世界は広いんだか狭いんだか。。。

2011年11月14日月曜日

フィンランド出張 25日目

セミナーで発表するが、相変わらず英語かダメすぎる

研究発表と普段の会話では使う英語に違いがあると思う



気かセミナーでは、内容がさっぱりであったが、聞き取りやすい英語で面白そうなことをやってるということがよくわかった

しかし、どんな内容だったのかがわからない。。。

手帳のメモなんてそんなものだ



電気乾燥機だと、いくら回してもなかなか乾いてくれない

ガス乾燥機ならさらっとかわくのになぁ

ヘルシンキでは火気がダメだからしゃーないな

いや、ホントは大丈夫なのかも

ただ、部屋は乾燥してるから、干しとけば半日くらいでしっかり乾くのよねぇ

2011年11月6日日曜日

フィンランド出張 24日目

エクスカーションでタリンに行く

タリンはバルト海を挟んだ向こうの国、エストニアの町

フェリーで2時間30分くらい

この地域はフェリーがたくさんあったりする

フェリーではバイキング

サーモンがうますぎる。、うますぎるうますぎる!!!

大事なことなので三回連呼してみました

しかし喰いすぎて、腹が痛くなる

着岸する直前に腹が痛くなりすぎてトイレに駆け込む始末。。。otz


バルト三国のなかでも、ヘルシンキに近いこともあって、もっとも栄えているのがエストニアのタリン

やはり、EU内ゆえにパスポートチェックはなし

日本でいうところの他県に旅行する感じ



寒くて寒くて仕方がなく、うろうろしてて見つけたショップでかわいい帽子を購入

これがかわいすぎな感じ

尻尾はないが、ぼんぼんがついてる感じ



タリン市内をうろうろするが、どこがどこだかよくわかってない

けど、楽しいからいいんよ

古めな建物がたくさんあり、東欧の雰囲気もあったりなかったり

タリンはソ連の支配下が長かったため、反ロシア感情があって、ロシア雰囲気は少なくなったりしているが

それでも色々見るべき文化があったりする



帰りは日本語フィンランド語会話集で盛り上がる

フィンランド文化がイラストで書かれてて、みんな面白く見てくれた

あの会話集はどこいっちゃったんだろう。。。



タリン文化の毛糸のセーターとかとかがとてもかわいい

かわいい人形の店番がたくさんあって、見ていて楽しくなる感じ

タリンもまた来てみたいものだ

フィンランド出張 23日目

Sobolev-Orlicz空間の話を聞く

関数空間の話としてとても面白い話なのだが、何を解明したいのかかはっきりしなかった

数学の講演では、なにをあきらかにしたいのかはっきりさせないとだと思う

だから、わからなかったら聞かなきゃいけないような気がする




ユハ先生とナゲス先生がガンガン議論している

全く入れる隙間がない

いや、どちらかというと、議論してるところを割り込むのは嫌い

話の邪魔はしたくないんすよ




この日の日記はとてもさもしかった

理由はわかっているのだか、たいしたことが書かれていない

たぶん、いろんな書類を作らなくてはいけなくて、にやーにゃーなってたのだろう

そんななかで、不思議が一文があった

車はどうなったのだろう?

何のことだろう??